名匠・今村昌平の代表作のひとつであり、日本映画史の中でも特別な異彩を放っている名作が『にっぽん昆虫記』です。
本記事では、あらすじ、主要登場人物やキャスト紹介、さらに作品鑑賞の魅力や見どころに迫りたいと思います。
日本映画異色の傑作『にっぽん昆虫記』
今村昌平監督が、左幸子を主演に迎えた1963年公開の映画『にっぽん昆虫記』。
波乱の人生をしぶとく、したたかに乗り越えていく強き女の生きざまを、独特のユーモアを交えたオールロケのリアリティで描き、日本映画史に残る屈指の傑作のひとつに位置付けられています。
国際的にも非常に高い評価をえており、ヒロインを演じた左幸子は、ベルリン国際映画祭において日本人女優初となる銀熊賞主演女優賞の栄冠に輝きました。
松木とめを見事に演じた左幸子
松木とめを圧巻の存在感で演じ切った左幸子は、1930年6月29日生まれ、富山県出身。東京で教師をするかたわら、俳優座で演技を学びました。
端役を経て、1952年の映画『若き日のあやまち』で主演デビュー。1957年の『幕末太陽傳』、ベルリン国際映画祭主演女優賞に輝いた本作、そして1965年の『飢餓海峡』で毎日映画コンクール女優主演賞受賞など、着実に実力派女優としての地位を確立していきました。
五社協定の各映画会社お抱えの看板スター女優ではなく、作品の質と役柄で出演を決めた異端派の女優としても知られています。
プライベートでは、1959年に映画監督の羽仁進と結婚して一女をもうけるも、実の妹に略奪され、ショックから自殺未遂を起こした過去もあります。2001年11月7日、肺がんにより71歳で死去しましたが、その妹と再婚した羽仁進、エッセイストとなった娘の未央(2014年に死去)も葬儀に参列しませんでした。
ちなみに、女優として活躍している左時枝は、絶縁した妹とは別のもう一人の末妹です。
その他主要登場人物とキャスト
※情報は2023年4月現在のものです。
①松木忠次/北村和夫
軽い知的障害のある、とめの血のつながらない父・忠次を北村和夫が演じています。
今村昌平とは学生時代からの友人であり、多数の作品に常連俳優として出演。それ以外にも、文学座の大黒柱として数々の映画・ドラマ・舞台で活躍しましたが、2007年5月6日、80歳で他界しました。
②松木信子/吉村実子
とめが産んだ一人娘が信子です。幼い頃のとめ同様、祖父である忠次と強い絆で結ばれて育ちますが、とめとはまた違う、新しい時代の自立した女性へと成長していきます。
演じた吉村実子は、タレントの吉村真理の実妹です。高校生のとき、今村昌平にスカウトされて映画『豚と軍艦』で映画デビューしました。一時引退状態にありましたが、再び復帰し、今も現役で活躍しています。
③松木えん/佐々木すみ江
情夫との間にとめをもうける、性に奔放な母えんを、佐々木すみ江が演じています。
佐々木すみ江は、大学卒業後に劇団民藝の結成に参加し、1971年に退団するまで看板女優の一人として活動しました。その後もテレビを中心に、NHK大河ドラマや朝ドラ、また『ふぞろいの林檎たち』など多数のヒットドラマに出演し、名バイプレーヤーとして活躍。2019年に90歳で他界しました。
④スマ/北林谷栄
とめをとりあげる老婆と、上京したとめが働くことになる売春宿の女将・スマを、一人二役で北林谷栄が演じています。
北林谷栄も劇団民藝の創設メンバーであり、若い頃から老女役を得意としていました。今村昌平作品や全盛期の角川映画など多数の映画・ドラマに出演。1991年の映画『大誘拐』では、数々の主演女優賞を席巻しました。『となりのトトロ』のばあちゃん役でも有名です。2010年、98歳で死去しました。
⑤松波/長門裕之
とめといい仲になる製糸工場の係長・松波を演じたのは長門裕之です。
長門裕之は、1956年の映画『太陽の季節』に主演して一躍人気俳優になり、また共演した南田洋子と結婚。俳優として数々の映画・ドラマに出演するかたわら、夫婦で音楽番組の司会を務めるなどおしどり夫婦として知られました。晩年は、認知症になった南田(2009年に他界)の介護につとめ、2011年に77歳で死去しました。
⑥みどり/春川ますみ
上京したとめと懇意になるパンパンあがりのみどりを春川ますみが演じています。
春川ますみは、浅草ロック座、日劇ミュージックホールを経て、1958年の映画『続・社長三代記』で女優デビュー。今村昌平監督作『赤い殺意』に主演したほか、「トラック野郎」シリーズの君江役も有名です。他にも多数の映画やドラマで個性派女優として活躍してきましたが、現在は事実上の引退状態にあります。
⑦唐沢/河津清三郎
とめのパトロンとなったのち、やがて娘の信子に手を出す問屋の旦那・唐沢を河津清三郎が演じました。
河津清三郎は、戦前の1920年代からマキノ・プロダクションに所属し、時代劇の人気スターとして活躍した俳優です。戦後は「社長」シリーズや任侠映画でも風格のある演技を披露しました。1983年に他界しています。
⑧その他
主要キャスト以外にも、驚くべきほど多くの人気俳優が脇役で出演しています。
新興宗教の班長役で殿山泰司、売春宿の客役で加藤武、みどりの韓国人夫役で小沢昭一、他にも小池朝雄、露口茂らが脇役にキャスティングされています。
『にっぽん昆虫記』のあらすじ(ネタバレあり)
『にっぽん昆虫記』
— 新文芸坐 (@shin_bungeiza) November 6, 2022
農家に生まれた女が地を這う昆虫のように戦後を逞しく、したたかに生きる。#実際に売春組織の女を見つけて徹底取材をしたという今村の代表作。オール・ロケ、挿入される短歌(?)も効果的。キネ旬1位、監督賞、脚本賞。 pic.twitter.com/DzKnEqyttT
大正7年、東北の貧しい寒村で、母・えんと情夫の間に生まれた松木とめ。血の繋がらない父・忠次には軽い知的障害があるものの、近親相姦にも近い親密なつながりのもと育ちます。
二十歳のとき、働いていた製糸工場をやめて、地主だった本田家の足入れ婚として住み込みに入ります。すぐに、三男坊の俊三に寝取られ懐妊するも、いさかいを起こして追い出され、実家で娘・信子を出産するのでした。
昭和20年、終戦を迎えます。再び製糸工場の女工に出戻っていたとめは、関係を持った管理職の松波に引き立てられて組合を仕切る地位に……。手にした退職金を手に、いつか忠次と信子を引き取ると約束して一人上京するのでした。
アメリカ人兵の愛人・みどりの家政婦として働くも、不注意の事故でみどりの幼い娘を亡くしてしています。失意から新興宗教に走ったとめは、そこで売春宿の女将・スマと出会い、女中として働かせてもらうことに……。
ほどなく、自らも客をとるようになっていたとめは、唐沢というパトロンを得ます。女将が売春斡旋容疑で警察につかまったのを契機に、とめ自身が新しいやり手の女将となって、売春をとり仕切るのでした。
そんな中、突然、恋人との開拓資金として20万円を貸して欲しいと娘の信子が上京してきます。同時に忠次危篤の報を受け、とめは信子と一緒に帰郷することに……。忠次の葬儀を終えて東京に戻ると、雇いの花子が家賃を持ち逃げし、行方をくらましていました。
とめは、見つけた花子に暴行し、刑務所送りに……。昭和36年、とめが出所すると、信子が20万円援助の見返りに、唐沢の4か月限定の妾となっていました。
信子は、唐沢からアクセサリーの店をもたせるから東京に残れと提案されたものの、ちゃっかりお金だけ手にして田舎に戻ってしまいます。
身ごもった体を抱えながら、恋人とたくましく開拓に精を出している信子。一方、唐沢に信子を連れもどすよう頼まれたとめは、ふてくされながらも一人東京を離れて田舎の砂利道を歩いていました。
監督・今村昌平について
今村昌平は、1926年9月15日、東京生まれ。大学卒業後、松竹大船撮影所に入社し、小津安二郎の助監督を務めました。
1954年に日活に移籍し、川島雄三に師事。この頃、『幕末太陽傳』の脚本などを手掛けています。
1958年に『盗まれた欲情』で監督デビューを果たすと、本作や『赤い殺意』など商業的にも成功する名作を相次いで発表します。その後は独立し、今村プロダクションを設立しました。
『楢山節考』と『うなぎ』でカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞を果たしていますが、二度の同賞受賞は日本人でただ一人です。
『にっぽん昆虫記』の見どころポイント
1.タイトルの由来は?
映画の冒頭は、乾いた大地を這いまわる、一匹の昆虫の姿で始まります。
本能でたくましく生きる昆虫の姿に、ヒロインのとめをはじめとする女たちの生きざまを重ね、その姿を淡々と描き切るという意味をこめて、『にっぽん昆虫記』と名付けられました。
映画の結末は、冒頭の昆虫とまさに重ね合わせるように、砂利道を裸足で歩くとめの姿で終わります。
英語タイトルは、そのままずばり「The Insect Woman」であり、世界中に本作の熱狂的なファンが多くいます。
2.物語の時代背景としての昭和史
戦争と富国強兵、戦後の混乱、朝鮮戦争、安保闘争など、そのときどきの激動の昭和史が背景としてさりげなく盛り込まれています。
そうした大きな時代の動きに流されることなく生きるとめの強さがひときわ際立ってきます。
3.宗教と信仰
激動の昭和史とともに、本作のもう一つの隠れたテーマとなっているのが、宗教と信仰です。
とめは一時新興宗教にすがります。が、それよりも幼い頃、父に教えられた山神を崇める土着的な信仰を、とめは心の支えとしており、生きる強さの源となっているという点は重要です。
4.世代の異なる女たちの生きざま
本作の大きなキーワードは言うまでもなく「性」であり、その大胆な描写ゆえ、公開当時は一時映倫から成人映画指定を受けたほどでした。
中心はもちろん主人公のとめですが、男の欲望を一方的に受け入れるだけだった母のえん、世間知らずのように見えて男を利用してあっけらかんと自立した生き方を選ぶ娘の信子と、女三世代の生きざまが対照的に描かれているのです。
5.娼婦役を得意とした左幸子の真骨頂
左幸子は、本作ばかりか、代表作とも言える他の2作でも娼婦を演じています。
『幕末太陽傳』では、幕末の品川宿にある遊女屋の人気女郎役、『飢餓海峡』でも、主人公と深く関わる青森の娼婦役でした。
『にっぽん昆虫記』の異色タイトルから見逃している人多数!
タイトルの異色さから、映画の内容を知らないまま、本作を見逃している人が多数いる可能性があります。
繰り返すまでもなく、日本映画史に残る名作です。
オンデマンドでも配信されていますので、ぜひ一度鑑賞をおすすめします。
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