名作『ディア・ハンター』キャスト8人のその後と現在/感想レビュー

ディア・ハンター 映画

ベトナム戦争のもたらした悲劇を描き、アカデミー賞では作品賞含む5冠に輝いた名作映画『ディア・ハンター』。

1978年の公開から、すでに45年以上!

ここでは、忘れがたい名演技をみせた俳優たちのその後と現在の紹介にくわえ、個人的な感想を交えてレビューしたいと思います。

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名優たちの演技が光る傑作『ディア・ハンター』あらすじ

第51回アカデミー賞において全9部門にノミネートされ、作品賞・監督賞・助演男優賞など5部門を制覇した1978年公開の映画『ディア・ハンター』。

1996年には、アメリカ議会図書館によってアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存され、2007年にはアメリカン・フィルム・インスティチュートによる史上最高のアメリカ映画第53位に選出されました。

1960年代末を舞台に、ペンシルバニア州の小さな町にある製鉄所で働きつつ、休日には山で鹿狩りに興じるロシア系アメリカ人たちの平穏な日常が、ベトナム戦争に徴兵されたことで一変する様を描きます。ベトナムで捕虜となり、そこで体験した狂気のゲームが、彼らの友情にも影を落とすことになります。

マイケル・チミノ監督の代表作であるばかりか、ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、メリル・ストリープらアメリカを代表する名優たちの素晴らしい演技も必見の傑作です。



主要登場人物/キャスト8人のその後と現在

2024年12月現在、残念ながら8人のうち2人が故人です。

アカデミー助演男優賞に輝いた1974年の『ゴッドファーザー PART II』、続く1976年の『タクシードライバー』と、ロバート・デ・ニーロがまさに脂の乗り切った時期に出演した作品が本作でした。

1943年8月17日、ニューヨーク市生まれ。アクターズ・スタジオで学んだ後、1973年の『ミーン・ストリート』で一躍注目を集めます。その後も、1980年の『レイジング・ブル』でアカデミー主演男優賞に輝くなど、ハリウッドきっての名優として活躍。近年の作品には『アイリッシュマン』『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』などがあります。

私生活では、女優ダイアン・アボットとの結婚と離婚、女優グレイス・ハイタワーとの再婚と離婚、その他複数の女性遍歴を通し、養子含めて合計7人の子どもがいます。7人目の子どもが誕生したのは、2023年4月、デ・ニーロが79歳の時でした。

2023年7月には、孫で俳優のレアンドロ・デ・ニーロ・ロドリゲスが薬物の過剰摂取により19歳で急死するという悲劇に見舞われました。

ベトナム戦争で心に傷を負い、狂気のロシアン・ルーレットに身を投じるニックを凄まじい存在感で演じ、アカデミー助演男優賞を受賞したクリストファー・ウォーケン。

1943年3月31日、ニューヨーク州クイーンズ生まれ。幼少期からテレビ・舞台を中心にキャリアを重ね、1971年の『ショーン・コネリー/盗聴作戦』で本格的な映画デビューを果たしました。

2002年の『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で再びアカデミー助演男優賞にノミネートされましたが、他にもプライムタイムエミー賞やトニー賞にも複数回のノミネート歴を誇る名優です。近年の出演作には、2024年の映画『デューン 砂の惑星 PART2』やAppleTV+のドラマシリーズ『セヴェランス』などがあります。

1969年、ミュージカル『ウエストサイドストーリー』のツアーで出会ったキャスティング・ディレクターの女性と結婚し、今も一緒です。子どもはいません。ちなみに、故ナタリー・ウッドとも恋愛関係にあったと噂され、1981年、ウッドが事故死したヨットに同乗していたのが夫のロバート・ワグナーとウォーケンだったことは有名です。

鹿狩り仲間の一人で、アンジェラと結婚式を挙げるスティーヴンを演じたジョン・サヴェージは、1949年8月25日、ニューヨーク州のロングアイランド生まれ。名門「アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ」卒業し、キャリアをスタートさせました。

本作と前後して、1975年のテレビ映画『エリックの青春』、1979年『ヘアー』に出演し、その名を広く知られるようになりました。その後も、200を超える映画やテレビドラマに出演する名バイプレーヤーとして活躍しています。

私生活では、若い頃に結婚し、一男一女をもうけましたが1969年に離婚。1993年から2002年の間は、南アフリカ人女優のサンディ・シュルツと結婚していました。その頃には、南アフリカの反アパルトヘイト運動にも積極的に身を投じています。ちなみに、俳優のロバート・デュバルは、実妹の夫で義弟にあたります。

鹿狩り仲間の一人、スタンリーを演じたジョン・カザールは、1935年8月12日、マサチューセッツ州リビア生まれ。舞台で高い評価を得たのち、1972年の『ゴッドファーザー』で映画デビューしました。共演のアル・パチーノとは、十代の頃から友人でした。

1974年の『カンバセーション…盗聴…』と『ゴッドファーザー PART II』に続き、1975年の『狼たちの午後』ではゴールデングローブ賞ノミネートを果たすなど、演技派として作品に恵まれますが、そのさなか、肺がんが発覚します。

無理を押して出演した本作の撮影を終えた1978年3月12日、公開を見ることなく、骨にガンが転移し42歳で死去しました。

舞台での共演がきっかけとなり当時婚約していたのが、本作でも共演したメリル・ストリープでした。



鹿狩り仲間のアクセルを演じたチャック・アスペグレンは、実は俳優ではなく、インディアナ州ゲーリーにあった「USスチール」の製鉄所で実際に働いていた現場監督でした。ロバート・デ・ニーロとクリストファー・ウォーケンが役作りのためのリサーチに訪れた際に出会い、気に入ってキャスティングされるに至ったのです。

プロの俳優でない、自然でリアルな存在感は高く評価されましたが、出演作は本作のみです。2022年11月23日、82歳で亡くなりました。死因は非公表です。

ニックの婚約者、リンダを演じたメリル・ストリープのその後の目覚ましい活躍についてはあえて言うまでもないでしょう。1949年6月22日生まれ、ニュージャージー州出身。イェール大学卒業後、まず舞台で注目を集めます。1977年の映画デビュー作『ジュリア』に続く、2作目の出演が本作でした。当初は地味な存在でしかなかったリンダという女性を見事に演じきり、アカデミー助演女優賞に初ノミネートされました。

その後、アカデミー賞では、1979年の『クレイマー、クレイマー』により助演女優賞、1982年の『ソフィーの選択』で主演女優賞、2011年の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で2度目の主演女優賞に輝いています。

既述の通り、1976年の舞台『尺には尺を』で共演したジョン・カザールと、撮影時は婚約関係にありました。余命わずかなカザールと少しでも長く一緒に過ごすため、リンダ役を引き受けたとも言われています。撮影中も献身的に介護し、カザールの最期を看取ったようです。

カザールの死の半年後には、彫刻家のドン・ガマーと電撃結婚。一男三女をもうけました。長男はミュージシャン、娘は3人とも女優として活動しています。おしどり夫婦として知られていましたが、2023年、夫のドン・ガマーとすでに6年前から別居状態にあることが判明します。2024年には、コメディ俳優のマーティン・ショートと恋仲であることが報じられました。

劇中、スティーヴンと派手な結婚式を挙げるアンジェラを演じたルターニャ・アルダは、1942年10月13日生まれのラトビア人女優です。当時はドイツ占領下にあったラトビアのリガに生まれ、戦後は一時難民キャンプで過ごしたのち、一家で米国に移住しました。

ニューヨークで演技を学び女優デビュー。本作のほか、1981年の『愛と憎しみの伝説』などで注目され、その後は数多くの映画・テレビドラマに出演しています。

私生活では、1977年に俳優のリチャード・ブライトと結婚し、一男をもうけていますが、2006年に夫がバスに轢かれて事故死するという悲劇を経験しています。

仲間たちが集う町の酒場を営むジョンを演じたジョージ・ズンザは、1945年7月19日、ドイツ・バイエルン州のポーランド系両親のもとに生まれました。一家は、オランダをへて、1956年、米国に移住しました。

大学で演技を学び、1973年の舞台『リア王』で俳優デビュー。その後は、名バイプレーヤーとしてたくさんの映画・テレビドラマに出演しています。主な作品に、1987年の『追いつめられて』、1990年の『ホワイトハンター ブラックハート』、1992年の『氷の微笑』などがあります。

私生活では1982年に一般女性と結婚し、3人の子をもうけました。2010年前後を機に俳優業からはセミリタイアし、オレゴン州に在住しながら地域の劇団などで指導にあたっているようです。

マイケル・チミノ監督のその後

1974年の監督デビュー作『サンダーボルト』に続く2作目となった本作により、見事アカデミー監督賞を受賞したマイケル・チミノ。

しかしながら、期待された3作目『天国の門』が批評家の賛否両論を巻き起こしたばかりか、巨額の製作費に対して興行収入は大赤字となります。製作会社は倒産し、しばらくの間、映画界を干される結果となりました。

復帰作となった1985年の『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』はまずまずの成功をおさめましたが、その後も手掛けた作品はわずか数作しかありません。

2012年のヴェネツィア国際映画祭において、『天国の門』のディレクターズカット版が上演され、スタンディングオベーションを受けるなど近年、再評価の機運が高まりつつありましたが、2016年7月2日、77歳で死去しました。死因は非公表です。



『ディア・ハンター』感想レビュー

アメリカ映画史に残る名作『ディア・ハンター』を久しぶりに観た。

最初に観たのは、1979年の日本公開時だ。田舎の映画館で、同じくベトナム戦争を描いた『帰郷』と同時上映だった。
ただでさえ長く、重い内容の映画を続けて二本、午前中に映画館に入って、観終わって外に出たときには日が暮れていたことを思い出す。

映画の舞台は二か所、ペンシルバニアに実在する町クレアトンと、遠く離れたベトナム。
クレアトンは、製鉄所で成り立つ、ロシア系移民の多いひなびたブルーカラーの町である。
ベトナム戦争での過酷な体験を経て、心身共に深い傷を負う三人、マイケル、ニック、スティーヴンを中心に、彼らを取り巻く友情と愛が描かれる。当時まだほとんど知られていなかったメリル・ストリープを一躍有名したリンダという女性の存在も忘れられない。

三時間を超える長い映画である。
ロシア式結婚式の模様や山岳地帯での鹿狩りのシーンなど、これでもかというほど長々と平穏な日常の描写が続いたあと、場面は突然、ベトナムの残虐な戦場に切り替わる。

この映画に対する批判として、ベトナム人に対する偏見と、現実味に乏しい戦場の描写がしばしば指摘されるが、改めて見ると確かにわからなくもない。そればかりか、デ・ニーロ演じるマイケルの姿は、まるで『ランボー』のスタローンと大差ないという批判もあながち大げさではない。

それら、ベトナムに舞台を移した中盤一時間あまりの欠点を認めたうえで、それでもこの映画の感動は、いささかも減じることはないのである。

おそらく、反戦映画として観るべきではないのだと思う。
極論を言えば、これはマイケル、ニック、リンダの三角関係を描いた恋愛映画だと自分は見る。

ベトナムからクレアトンに戻って再会、そして様々な現実に直面し、迎えるラストシーン。
静かで、切ないストップモーションは、その後、彼らがどうなるのか、何も語らない。
ギターが奏でる名曲『カバティーナ』に引き継がれて、観客はしみじみとした深い余韻の中で、エンドロールを追うばかりである。

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