『ローマの休日』知られざる12の実話とその後:ロケ地/キャスト

ローマの休日 映画

オードリー・ヘプバーンを一躍スターダムに押し上げた、1953年公開のロマンチック・コメディ『ローマの休日』。

およそ70年前の映画ですが、今なお世界中のファンを魅了し続けている不朽の名作です。

本記事では、キャストとロケ地のその後・現在について触れたあと、知られざる秘話・裏話を12選び、ご紹介したいと思います。

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ロマンチック・コメディの金字塔『ローマの休日』

『嵐が丘』や『ベンハー』など、生涯においてアカデミー監督賞12度ノミネートされ、うち3度受賞を誇る巨匠ウィリアム・ワイラーがメガホンをとり、グレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンが主演した、1953年の映画が『ローマの休日』です。

イタリアのローマを訪問中、過酷なスケジュールに疲れ果てて一人で宮殿を逃げ出した某国の王女と、一人のアメリカ人新聞記者の一夜の恋を描く、ロマンチック・コメディを代表する傑作です。

王女役で一躍無名女優から大スターへと飛躍したヘプバーンがアカデミー主演女優賞、衣装を手掛けたイーディス・ヘッドが衣裳デザイン賞を受賞しました。また、イアン・マクレラン・ハンターも最優秀原案賞に輝いていますが、実際に原案と脚本を手掛けたのは、赤狩りでハリウッドを追放されていたダルトン・トランボだったことは有名です。

キャストのその後(オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペック)

■アン王女/オードリー・ヘプバーン

アン王女役に抜擢されたオードリー・ヘプバーンは、当時まだほとんど無名の新人女優でした。本作でいきなりアカデミー主演女優賞を獲得して一躍トップスターとなってからの活躍については言うまでもありません。

後年は、ユニセフ親善大使としてアフリカ、南米、アジアを飛び回り、慈善活動に精力を注いだことも広く知られています。1993年、虫垂癌により63歳で他界しました。遺作映画は、1989年公開のスティーヴン・スピルバーグ監督作『オールウェイズ』です。

私生活では、本作の翌年にアメリカ人俳優のメル・ファーラーと結婚し、長男をもうけたものの1968年に離婚。翌1969年にイタリア人医師アンドレア・マリオ・ドッティと再婚し、次男をもうけていますが、こちらも1982年に離婚しました。その後、オランダ人俳優のロバート・ウォルダースと死去するまで添い遂げましたが、結婚はしませんでした。

2022年5月には、ブリュッセルのイクセルにある生家近くの公園に、ヘプバーンの銅像がお目見えしました。

※代表作の一つである、『ティファニーで朝食を』『麗しのサブリナ』については、下記の2つの記事で詳しくレビューしています。

■ジョー・ブラッドレー/グレゴリー・ペック

グレゴリー・ペックは、1944年に映画デビュー。1946年の『子鹿物語』と翌年の『紳士協定』で2年連続アカデミー主演男優賞候補となり、『ローマの休日』に出演したときは、すでに人気スターの一人でした。

1962年には『アラバマ物語』でついに主演男優賞を受賞。1976年の『オーメン』などキャリア後期にはさまざまなタイプの作品に出演し、単なる二枚目正統派スターではないことを証明しました。2003年、気管支肺炎により87歳で死去しています。

私生活では、1942年にフィンランド系アメリカ人の一般女性と結婚し、3人の息子をもうけていますが、1955年に離婚。ほどなく、芸術系パトロン&著名慈善家のヴェロニク・パッサーニと再婚し、一男一女をもうけました。

■その他キャスト

ジョーの相棒カメラマンを演じたエディ・アルバート、大使や王女の侍女、美容師のマリオら、主だったキャストは全員故人です。



撮影ロケ地とその現在

70年前とはいえ、さすが古都ローマだけあって、有名な「スペイン広場」や「トレヴィの泉」「真実の口」はもちろん、主要な場所の多くはそのままの形で現存しています。

主だったところを何か所かご紹介します。

①バルベリーニ宮殿→某国大使館の外観

ローマ訪問中、アン王女が滞在する大使館の外観は、「バルベリーニ宮殿(国立古典絵画館)」です。夜中、出入り業者のトラックの荷台に隠れて抜け出すとき、豪華なゲートを通り過ぎます。

バルベリーニ宮殿(国立古典絵画館)/Palazzo Barberini
住所:via delle Quattro Fontane, 13
公式HP:https://www.barberinicorsini.org/

②ブランカッチョ宮殿→某国大使館の内部

バルベリーニ宮殿が使用されたのは外観のみで、舞踏会や謁見シーン、アン王女の寝室などが撮影された内部は、「ブランカッチョ宮殿」です。

宮殿は、一部が「国立オリエント博物館」として、一部がさまざまな催しものや式典が開催される施設として利用されています。

ブランカッチョ宮殿/Palazzo Brancaccio
住所:Viale del Monte Oppio,7
公式HP:https://www.palazzobrancaccio.net/

③コロンナ美術館(宮殿)→ラストシーンの記者会見会場

終盤、大使館に戻ったアン王女が記者会見を開き、ジョーと再会する場所は、ブランカッチョ宮殿ではなく、「コロンナ美術館(宮殿)」で撮影されました。

17世紀から20世紀に渡って収集されたコロンナ家のコレクションを展示している宮殿兼美術館です。

コロンナ美術館(宮殿)/Galleria Colonna
住所:Via della Pilotta, 17
公式HP:https://www.galleriacolonna.it/ja/

④セプティミウス・セウェルスの凱旋門の脇道→王女が寝落ちする街中のベンチ

夜中に大使館を抜け出したアン王女は、睡眠薬のせいで街中のベンチで眠ってしまいます。そのシーンが撮影されたのは、「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」のすぐ横にある道(Via dell’Arco di Settimio)です。ジョーと初めて出会う場所でもあります。

「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」は、古代ローマ遺跡で世界遺産「フォロ・ロマーノ」の一角にあり、建設は紀元203年です。

⑤その他

■ジョーのアパート

ジョーの住む部屋は、劇中のセリフにある通り、マルグッタ通り51(Via Margutta, 51)に実在します。ただし入り口だけで、内部は同じ通りの31番地で撮影されました。

マルグッタ通りは、映画ではにぎやかな庶民の街に見えますが、実際は、静かでハイセンスな通りです。芸術家が多く住み、イタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニが一時住んでいたことでも有名です。

■ジョーとアンが訪ねるカフェ

スペイン広場で再会したジョーとアンが最初に訪れるカフェは、パンテオンのすぐ近くにある「G.Rocca」。しかし、ずいぶん前に閉店しており、2022年現在はファッション・ブランド「REPLAY」(Via della Rotonda, 24)のショップになっています。

また「G.Rocca」が使用されたのは外のテラス席のみで、店内のシーンは別の場所にある「Café Notegen(カフェ・ノテーゲン)」(Via del Babuino, 159)で撮影されました。1880年創業で、フェリーニやピカソなど多くの著名人、また撮影で気に入ったオードリー・ヘプバーンもその後たびたび訪れた由緒あるカフェでしたが、2000年代半ばに閉店。現在の跡地にはファッションのアウトレットショップがテナントとして入っています。

■アンが髪を切る美容院

アンが髪を切った美容院も現存していません。実在した美容院なのか、撮影のため表だけ作られた店なのかも不明です。

ただし、場所は「トレヴィの泉」のすぐ右横の通り(Via della Stamperia,83)にあり、一時、小さなバッグのお店になっていましたが、2022年現在は閉店しているようです。



『ローマの休日』知られざる実話・裏話12選

『ローマの休日』の日本語版Wikipediaには、いくつかのトリビアも紹介されていますが、ここではそこに書かれていない秘話・裏話をご紹介します。

①アン王女にはモデルがいる?!

パラマウントは、英国政府との間で、英国王室、特にマーガレット王女をモデルにしたものではないという事実で公式に合意していました。それを明確にするため、冒頭にロンドン訪問シーンをわざわざ挿入したのです。

しかし実際、映画製作当時、マーガレット王女が恋愛と王位との狭間で悩んでいた時期にあったというのも事実です。そのため、アン王女は、マーガレット王女をモデルにしたものであるという説を今も主張する人は少なくありません。

当初、メガホンをとる予定だったフランク・キャプラが降板した理由の一つも、アン王女がマーガレット王女を明らかに連想させることから、英国政府の合意を得られないと判断したからだとも言われています。

②ジョー役の第一候補だったのは?

ジョー役は、当初ケーリー・グラントを想定していました。しかし、ヘプバーンの恋の相手を演じるには、自分は歳をとりすぎているという理由で辞退し、そのためペックに白羽の矢が立ったのです。

グラントは、1954年の『麗しのサブリナ』、そして1957年の『昼下がりの情事』でもヘプバーンの相手役を辞退していますが、1963年の『シャレード』でついに共演が実現しました。そののち、二人は大の親友となりました。

③グレゴリー・ペックが出演を引き受けた理由

ペックは、当初、ジョー役が王女の引き立て役に過ぎないと考え、あまり前向きではありませんでした。しかし、脚本を受け取って快諾。自身のキャリアにない、コメディ映画への出演を熱望していたためでした。

ヘプバーンについては、本作で間違いなくオスカーを取ると絶賛。ヘプバーンの名前を自分と同等にクレジットするよう要求したのもペックだったと言われています。

ちなみに後年、ペックは、ロマンチック・コメディ映画の脚本を受け取ると、常にケーリー・グラントの指紋がついていたとジョーク混じりの発言をしています。

④撮影当時のグレゴリー・ペックの私生活

撮影のためにローマ入りした当時、グレゴリー・ペックは、最初の結婚が離婚間際で精神的に非常につらい時期にありました。しかし、そんな中、撮影中に出会ったのがフランス人のヴェロニク・パッサーニ。のちに再婚し、生涯添い遂げることになります。



⑤アン王女役の最初の候補女優たち

当初、アン王女役の有力候補だったのは、ジーン・シモンズとエリザベス・テーラーでしたが、二人ともスケジュールが折り合わなかったりして断念。

その後、スザンヌ・クルーティエ、コレット・リペール、レスリー・キャロン、デボラ・カー、ジャンヌ・モロー、アンジェラ・ランズベリーら多数の女優の名前があがりましたが、そんな中、急浮上したのが、オードリー・ヘプバーンでした。

上記のYoutubeは、公式に公開されている貴重なスクリーン・テストの模様です。

⑥撮影とキャスティング裏話

パラマウントは、当初ハリウッドでの撮影を希望していましたが、ウィリアム・ワイラーがそれを拒否しました。

なんとかローマ撮影で合意を得ましたが、予算は変わらず低く抑えられたままだったため、カラーではなく白黒、またギャラの安い無名の新人オードリー・ヘプバーンが抜擢される一つの理由にもなったのです。

⑦撮影時のオードリー・ヘプバーンの私生活

パラマウントは、アン王女のために用意された衣装や小物、ジュエリーなどすべてをヘプバーンの結婚祝いとして贈るつもりでした。ヘプバーンは当時、男爵ジェイムズ・ハンソンと婚約中だったのです。

ところが、撮影後に婚約は破談してしまい、お祝いもお流れとなりました。

上述のとおり、本作の翌1954年に、アメリカ人俳優のメル・ファーラーと結婚しています。その際着用したウェディングドレスは、バルマンのものです。

⑧舞踏会シーンのエキストラ

某国大使館で催される舞踏会のシーンには、実際のイタリア人貴族がエキストラとして出演しています。彼らは、出演料をすべてチャリティーに寄付しました。

ちなみに最後の記者会見における記者たちも、ジョーら以外は本物の記者たちです。

⑨涙を流せなかったオードリー・ヘプバーン

終盤、アン王女がジョーに別れを告げる、きわめて重要なシーンで、ヘプバーンはなかなか涙を流すことができませんでした。

何度もNGを繰り返し、ついにウィリアム・ワイラー監督が怒って叱咤。その結果、責任を感じたヘプバーンが涙を流し、無事シーンを撮り終えることができたそうです。



⑩オスカー受賞式でのオードリー・ヘプバーン

見事アカデミー主演女優賞を受賞したヘプバーンは、緊張のあまり、ステージで道を間違え、また数分後、手にしたオスカー像を、トイレに置き忘れるという失態をしでかしました。

その後、すぐそれに気づいて取りに戻り、写真撮影の場に戻ったそうです。

⑪『ローマの休日』と酷似している?!『或る夜の出来事』

『ローマの休日』のストーリー展開は、当初メガホンをとる予定だったフランク・キャプラ監督が手掛けた1934年の映画『或る夜の出来事』と酷似していることは広く指摘されています。

『或る夜の出来事』は、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールが主演し、アカデミー賞では作品賞など主要5部門を独占した傑作です。

窮屈な家を逃げ出した富豪の令嬢エリーが、バスの中で偶然出会った新聞記者のピーター。ピーターはエリーの正体に気づき、それが特ダネになることを知りつつ、逃走の手助けをするうち次第に恋に落ちるというストーリーです。

⑫本作の続編が企画されていた!

1970年代には、本作の続編が企画されました。ペックもヘプバーンも同意していましたが、企画止まりで終わり、現実になることはありませんでした。

ちなみに、1988年のアカデミー授賞式には、二人そろってプレゼンターとして登場し、『ローマの休日』ファンを沸かせました。

『ローマの休日』ファンにおすすめ!

ロマンチック・コメディ映画の傑作として、世界中で愛される『ローマの休日』ですが、公開当時からとりわけ日本での人気は際立っており、今もそれは変わりません。

2020年には、4Kデジタル・リマスターとともに、限定コレクターズ・エディションが発売されました。日本未公開の映像を含む約1時間半の特典映像や、日本オリジナル特製ブックレットも付属しており、ファン必見です。

また、2015年に公開された映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』もおすすめ。『ローマの休日』の原案・脚本を手掛けたダルトン・トランボの生涯を描いた作品であり、『ローマの休日』が誕生する舞台裏を知ることができます。

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