2024年に入って死去した海外の映画スターをご紹介します。
日本でも比較的なじみの深い人を選び、代表作やキャリア、死因、私生活などの素顔についてご紹介します。
- 2024年に死去した海外映画スター<死因・素顔・代表作>
- 1/4:デヴィッド・ソウル(80歳)
- 1/12:アレック・マッサー(50歳)
- 2/1:カール・ウィザース(76歳)
- 3/29:ルイス・ゴセット・ジュニア(87歳)
- 4/10:O・J・シンプソン(76歳)
- 5/16:ダブニー・コールマン(92歳)
- 5/23:モーガン・スパーロック(53歳)
- 6/18:アヌーク・エーメ(92歳)
- 6/20:ドナルド・サザーランド(88歳)
- 7/11:シェリー・デュヴァル(75歳)
- 7/13:シャナン・ドハーティー(53歳)
- 8/18:アラン・ドロン(88歳)
- 9/27:マギー・スミス(89歳)
- 9/30:ギャヴィン・クリール(48歳)
- 10/29:テリー・ガー(79歳)
- 11/3:クィンシー・ジョーンズ(91歳)
- 追悼2024
2024年に死去した海外映画スター<死因・素顔・代表作>
2024年1月から7月の間に亡くなった映画スターの中から、16人ご紹介します。
今後、随時更新していきます。
1/4:デヴィッド・ソウル(80歳)
1975年から1979年まで、4つのシーズンに渡って放送され、大ヒットしたドラマ『刑事スタスキー&ハッチ』のハッチ役で世界的人気を博したデヴィッド・ソウル。日本においても、1977年から1981年にかけてTBS系列で放送され、アメリカンTVドラマ人気の一翼を担いました。
デヴィッド・ソウルは、1943年8月28日、シカゴ生まれ。無名の歌手から俳優に転身後、ハッチ役で一躍人気スターに躍り出ると、「やすらぎの季節」などリリースした曲も大ヒットしました。その後は、『ジェシカおばさんの事件簿』『名探偵ポワロ』などにゲスト出演したり、2004年の映画版『スタスキー&ハッチ』にカメオ出演したりしました。2014年にイギリスのTVコマーシャルの中で、代表曲の一つ「シルバー・レディ」を歌って登場したのが、公式の最後の出演です。
50年間、一日3箱を吸う愛煙家として知られていましたが、慢性閉塞性肺疾患および肺がんにより片方の肺を切除。亡くなる前10年ほどは禁煙に成功していたと言いますが、2024年1月4日、80歳で死去しました。
私生活では、5度結婚し、合わせて6人の子どもがいます。4人目の妻で女優のジュリア・ニクソンとの間にもうけた一人娘チャイナ・ソウルはイギリスでシンガーソングライターとして活動中です。
1/12:アレック・マッサー(50歳)
アメリカでは、1970年から2011年まで放送され、国民的人気を博した昼ドラ『オール・マイ・チルドレン』の2005―2007シーズン、またそのきっかけとなったリアリティ番組『I Wanna Be a Soap Star』への出演で有名なアレック・マッサー。
日本では『デスパレートな妻たち』や、アダム・サンドラー主演の映画『アダルトボーイズ青春白書』、また「アバクロンビー&フィッチ」の広告モデルとして知る人もいるでしょう。
1973年4月11日、ニューヨーク生まれ。トップモデルとして様々なブランドの顔を務めたあと、俳優兼モデルとして活動していました。
2024年1月12日、カリフォルニアの自宅において、拳銃により自死しました。50歳の若さでした。
2/1:カール・ウィザース(76歳)
フットボールのスタープレイヤーから俳優に転身したカール・ウィザースは、1948年1月14日、ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。
1976年の映画『ロッキー』で、主人公の宿敵アポロ・クリードを演じ、高い評価を得るとともに一躍世界的人気を確立しました。『ロッキー4/炎の友情』までシリーズ4作品に出演し続けたほか、『ER緊急救命室』『シカゴ P.D.』『マンダロリアン』など数多くのテレビドラマにも主演あるいはゲスト出演を果たしました。
私生活では、3度の結婚で子どもが2人います。2024年2月1日、アテローム性動脈硬化症により76歳で死去しました。
3/29:ルイス・ゴセット・ジュニア(87歳)
1982年の映画『愛と青春の旅だち』で鬼軍曹を演じ、アカデミー助演男優賞を受賞したルイス・ゴセット・ジュニア。そのほかにも多くの映画・ドラマに出演して数々の受賞歴を誇る、アメリカの黒人俳優を代表する名優の一人です。
1936年5月27日、ニューヨーク・ブルックリン生まれ。大学ではバスケットボールのスター・プレイヤーとして活躍し、一時はプロとなったものの、ほどなく俳優に転身。1977年のテレビドラマ『ルーツ』でプライムタイム・エミー賞主演男優賞を受賞し、一躍実力派俳優として知られるようになりました。
1990年代から、前立腺がんなどさまざまな病気を患いつつ、何度も再起を遂げては俳優業を続けてきました。最近でも2023年公開のミュージカル・リメイク映画『カラーパープル』で、老いたミスター役を演じ、さすがの存在感を見せています。
2024年3月29日、87歳で死去。直接の死因は非公表です。私生活では、3度の結婚歴があり、実子が一人、養子が一人います。
4/10:O・J・シンプソン(76歳)
アメリカンフットボールの国民的スター選手から俳優へと転身し、成功を収めたO・J・シンプソン(オレンタール・ジェームス・シンプソン)。出演映画には、1974年の大作映画『タワーリング・インフェルノ』、1976年の『カサンドラ・クロス』、1978年の『カプリコン・1』などがあります。
しかし、1994年に起こった、俗にいう「O・J・シンプソン事件」により、全米を大きく揺るがすことに…。2人めの元妻だったニコール・ブラウン、ニコールの友人ロナルド・ゴールドマン殺害容疑で逮捕。車での逃走劇、裁判の様子などがテレビでライブ中継される事態となり、ある種の社会現象と化しました。
結局、刑事裁判では無罪、民事裁判では有罪となりましたが、2007年には強盗事件を起こして実刑判決を受け、服役するなど、波乱の後半生を送りました。(2017年10月に仮釈放)
家族関係では、ニコール・ブラウンの前にも一度結婚歴があり、3人の子どもがいますが、末っ子は2歳のときに自宅のプールで溺死しています。ニコールとの間にも2人子どもがいます。事件直後の1995年に出会った19歳のウェイトレスの女性と、その後13年間交際していましたが、破局後には女性側が何度も殺されるかと思ったと暴露しました。
2024年4月10日、前立腺がんのため76歳で死去しました。
5/16:ダブニー・コールマン(92歳)
コメディ映画から超大作映画まで、数多くの作品で名バイプレーヤーとして活躍したダブニー・コールマンは、1932年1月3日、テキサス州オースティン生まれ。テキサス大学で法律を学び、また2年間ドイツで兵役についたのち、俳優に転身しました。
1961年にまずブロードウェイ・デビューを果たし、その後は、多数の舞台、テレビドラマや映画に出演し、キャリアを重ねます。日本においては、1974年の大作『タワーリング・インフェルノ』における消防署長役、1980年の『9時から5時まで』における憎まれ上司役、1982年の『トッツィー』、1990年の主演作『天国に行けないパパ』、1998年の『ユー・ガット・メール』などで見せた独特の存在感で人気をよびました。
プライムタイム・エミー賞は6度のノミネートで受賞1回、ゴールデングローブ賞は3度のノミネートに受賞1回の名優です。
2024年5月16日、カリフォルニア州サンタモニカの自宅にて、92歳で亡くなりました。遺作映画は、2016年公開のウォーレン・ベイティ監督作『ハリウッド・スキャンダル』です。私生活では2度の結婚と離婚で、4人の子どもがいます。
5/23:モーガン・スパーロック(53歳)
監督・脚本・製作に留まらず、自ら主演したドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』が、世界中で大ヒットしたモーガン・スパーロック。1日3食、ファーストフードだけを30日間食べ続けたらどうなるか、というユニークかつ馬鹿げた実験を記録したものであり、アカデミー賞のドキュメンタリー映画賞の候補となりました。
1970年11月7日、ウェストバージニア州パーカーズバーグ生まれ。ニューヨーク大学で映画を学び、卒業後はまず劇作家として作品を発表しました。
2004年に発表した『スーパーサイズ・ミー』の大ヒットを受け、その後はたくさんのドキュメンタリー作品を手掛けました。テレビシリーズ『モーガン・スパーロックの30デイズ』や映画『ヤバい経済学』などは、日本でもよく知られています。
私生活では、3度結婚と離婚を繰り返し(3人目の妻との離婚は2024年)、2人の子どもがいます。2017年にはセクハラ・スキャンダルが露呈し、以後、キャリア上の目立った活動はありませんでした。
2024年5月23日、がんの合併症により53歳で死去しました。
6/18:アヌーク・エーメ(92歳)
カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた1966年公開の映画『男と女』。ヒロインのアンヌを演じたアヌーク・エーメも、ゴールデングローブ賞主演女優賞や英国アカデミー賞最優秀外国女優賞はじめ、各国で数々の受賞・ノミネートを果たし、世界的大スターの地位を確立しました。日本でも、フランス人女優の代表的存在として絶大なる人気を博しました。
1932年4月27日、パリのユダヤ系俳優一家の生まれ。1947年の映画『密会』で女優デビュー後、1958年の『モンパルナスの灯』で一躍注目されました。その後、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』や『8 1/2』、ロバート・アルトマン監督の『プレタポルテ』など国外の作品にもたびたび出演。
『男と女』は、1986年に続編『男と女II』、2019年に2人の52年後を描いた『男と女 人生最良の日々』が公開され、同作がアヌーク・エーメの最後の出演映画となりました。2024年6月18日、パリの自宅で92歳で亡くなったことを看取った娘がSNSで公表しました。ちなみに『男と女 人生最良の日々』は、相手役を演じたジャン=ルイ・トランティニャンの遺作(2022年に死去)でもあります。
私生活では、4度の結婚と離婚を経て、娘が一人。3人目の夫(1966-1969)は『男と女』で夫を演じていたピエール・バルー、4人目の夫(1970-1978)はイギリス人俳優のアルバート・フィニーです。
6/20:ドナルド・サザーランド(88歳)
1970年の『M★A★S★H マッシュ』、1973年の『赤い影』、1980年の『普通の人々』などの映画史に残る名作のほか、最近でも『ハンガー・ゲーム』シリーズのスノー大統領役など数々の作品で名バイプレーヤーぶりを発揮してきた名優がドナルド・サザーランドです。
1935年7月17日、カナダのニューブランズウィック州セントジョン生まれ。トロント大学卒業後に渡英し、1960年代を通じてウエストエンドの舞台、イギリスのテレビドラマや映画を中心にキャリアを積みました。
1995年のテレビ映画『ロシア52人虐殺犯/チカチーロ』で、プライムタイム・エミー賞とゴールデングローブ賞の助演男優賞をW受賞したほか、2017年にはアカデミー名誉賞を授与されました。
私生活では3度の結婚で、5人の子どもがいます。2人目の妻でカナダ人女優のシャーリー・ダグラスとの間にもけたのが、俳優のキーファー・サザーランドです。
近年まで映画やドラマへの出演を続けてきましたが、2024年6月20日、フロリダ州マイアミの自宅にて88歳で亡くなりました。死因は非公表ですが、仕事と並行して長い間、病と闘っていたようです。
7/11:シェリー・デュヴァル(75歳)
ロバート・アルトマン監督による1977年の映画『三人の女』で、カンヌ国際映画祭最優秀女優賞を獲得し、実力派女優として名声を得たシェリー・デュヴァルは、1949年7月7日、テキサス州ヒューストン生まれ。
1970年、アルトマン監督に見出され、『BIRD★SHT』で映画デビュー。その後も『ギャンブラー』『ナッシュビル』『ビッグ・アメリカン』『三人の女』と立て続けにアルトマン作品に抜擢されました。1980年のスタンリー・キューブリック監督作『シャイニング』で演じたジャック・ニコルソンの妻役、アニメの実写映画化『ポパイ』で演じたオリーブ役なども代表的出演作です。
個性派女優として、いくつかの作品で独特の存在感をみせていましたが、2002年の映画『Manna from Heaven(日本未公開)』を最後に事実上、女優業を引退。表舞台から姿を消しましたが、2016年に、精神疾患を患っていたことをメディアによって暴露されました。そんな彼女をテレビのインタビュー番組に引っ張り出したことで、炎上騒ぎも起こっています。
2024年7月11日、糖尿病の合併症により75歳で死去。20年ぶりにスクリーンに戻った2023年の映画『The Forest Hills(日本未公開)』がそのまま遺作となりました。
私生活では、1970年にアーティストの一般男性と結婚しましたが1974年に離婚。その後、ポール・サイモン、リンゴ・スターらとの短い交際をへて、ミュージシャンのダン・ギルロイと亡くなるまでパートナーでした。
7/13:シャナン・ドハーティー(53歳)
1990年から2000年にかけ、シーズン10まで放送された大ヒット青春ドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』。そのシーズン4まで登場した主人公の双子の妹ブレンダを演じ、一躍若手人気スターとなったシャナン・ドハーティー。
1971年4月12日、テネシー州メンフィス生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルス育ち。子役としてキャリアをスタートさせ、上記作品で名声を確立しました。他にも『チャームド ~魔女3姉妹』シーズン1から3までの主役プルーデンス・ハリウェル役などで、日本でも人気を博しています。
2008年には続編『新ビバリーヒルズ青春白書』に再登板。この2つドラマ作品のイメージが強すぎたのか、映画ではなかなか代表作に恵まれませんでした。
2015年に乳がんを発症し、2020年にはステージ4であることを公表。長らく闘病生活を送っていましたが、2024年7月13日、53歳の若さで亡くなりました。
私生活では、1993年に俳優のアシュレイ・ハミルトンと結婚しましたが1年で離婚。2002年にポーカー・プレイヤーのリック・ソロモンと再婚しますがこちらも9か月で離婚。2011年に、カメラマンの男性と3度目の結婚しますが、亡くなる前に破綻しています。反捕鯨テロ組織「シーシェパード」を公式に支援していたほか、飲酒運転逮捕、借金踏み倒しなど、なにかと問題の多い女優でした。
8/18:アラン・ドロン(88歳)
主に60年代から70年代にかけて数々の作品に出演し、フランスを代表する美貌の俳優として一世を風靡したアラン・ドロン。1935年11月8日、パリ郊外に生まれ、1957年の映画『女が事件にからむ時』でデビューしました。
1960年に主演した『太陽がいっぱい』の世界的大ヒットにより、名声を確立。ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』や『山猫』、『地下室のメロディー』や『冒険者たち』など多くの映画に出演しました。2019年のカンヌ国際映画祭では、その功績をたたえ、名誉パルム・ドールが贈られています。
私生活では、1966年から69年の間、ナタリー・ドロンと婚姻関係にあったほか、ロミー・シュナイダーやミレーユ・ダルクら数多くの女性を恋愛関係を持ちました。子どもは公式には3人、しかし、認知しなかった子もおり、そうした複雑な家族関係が、愛憎入り混じる骨肉の確執を産んでいました。
2019年に脳卒中を発症し、以来療養生活にありましたが、2024年8月18日、88歳で死去。そうした家族問題もあり、晩年の病状や直接の死因は明らかにされていません。
9/27:マギー・スミス(89歳)
イギリスを代表する国民的大女優だったばかりか、国際的にも様々な作品で類稀なる存在感を示してきたマギー・スミス。1934年12月28日、イギリスのサセックス州に生まれ、17歳だった1952年に舞台デビューを果たしました。
1969年の映画『ミス・ブロディの青春』により、米アカデミー賞と英国アカデミー賞の主演女優賞をW受賞。その後も何度もノミネートされ、1978年の『カリフォルニア・スイート』でアカデミー助演女優賞を受賞するなど、名優の地位を確立してきました。
その他、代表的な出演作には、『天使にラブ・ソングを…』の修道院長役、『ハリー・ポッター』シリーズのミネルバ・マクゴナガル先生役、『ダウントン・アビー』のバイオレット役などがあります。
私生活では、1967年に俳優ロバート・スティーブンスと結婚し、二男をもうけましたが1974年に離婚。翌年、劇作家のビヴァリー・クロスと再婚し、1998年に死別しました。2024年9月27日、療養していたロンドンの病院にて89歳で死去。直接の死因は公表されていません。その死にあたり、チャールズ国王が追悼の声明を発表しています。
9/30:ギャヴィン・クリール(48歳)
ミュージカルを中心に、実力と人気を兼ね備えた大スターとして活躍したギャヴィン・クリールは、1976年4月18日、オハイオ州フィンドレー生まれ。大学卒業後すぐ『フェーム』の全米ツアーに参加し、キャリアをスタートさせました。
2002年の『モダン・ミリー』でブロードウェイデビューを果たすや、すぐにトニー賞主演男優賞ノミネート。2008年の『ヘアー』で再ノミネートを経て、2017年の『ハロー・ドーリー!』でついにトニー賞助演男優賞を受賞しました。『ブック・オブ・モルモン』では、ブロードウェイおよびロンドンのウエストエンドでも主演し、ローレンス・オリビエ賞にも輝いています。
2023年にはミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』に出演。しかし、2024年7月に「サルコーマ(悪性の肉腫)」を発症。治療の甲斐なく、同年9月30日、48歳の若さで死去しました。
私生活では、ゲイを公言し、俳優のジョナサン・グロフらと恋愛関係にありました。
10/29:テリー・ガー(79歳)
独特のコメディセンスと親しみやすさで絶大なる人気を博したテリー・ガーは、1944年12月11日、オハイオ州レイクウッド生まれ。父もコメディアンでした。
1963年に端役でデビュー後、『ヤング・フランケンシュタイン』や『オー!ゴッド』、『未知との遭遇』『ワン・フロム・ザ・ハート』などに出演しキャリアを重ねます。1982年の世界的大ヒット映画『トッツィー』では、主人公のガールフレンドを演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされるなど、名実ともに名声を確立しました。その後も名バイプレーヤーとして多くの映画・ドラマに出演しています。
2002年、多発性硬化症を公表し、2011年に事実上女優業を引退。その後は闘病生活を送っていましたが、2024年10月29日、ロサンゼルスの自宅において79歳で死去しました。
私生活では、1993年に一般男性と結婚し、養女を得ていますが、1996年に離婚しています。
11/3:クィンシー・ジョーンズ(91歳)
アメリカの音楽界を代表する巨匠クィンシー・ジョーンズは、1933年3月14日、イリノイ州シカゴ生まれ。全世界一の売り上げを誇る、マイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』はもちろん、数々の有名アーティストをプロデュースしたばかりか、映画音楽なども多数手がけました。
グラミー賞はもちろん、プライタイムエミー賞、トニー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞などで、記録的な数の受賞・ノミネート歴を誇ります。
担当したサウンドトラックには、映画『夜の大捜査線』『ゲッタウェイ』『ウィズ』『カラーパープル』、テレビドラマ『ルーツ』などがあります。また俳優として、『オースティン・パワーズ ゴールドメンバー』など数作に自身役で出演したほか、2018年にはドキュメンタリー映画『クインシーのすべて』が制作され、Netflixで配信されました。
2024年11月3日、91歳で死去。死因は公表されていません。私生活では、4度の結婚・離婚歴があり、4人目の妻は、女優のナスターシャ・キンスキーです。子どもは、合計7人います。
追悼2024
訃報を耳にすると、改めてその代表作など鑑賞したくなりますね。
今後も、日本でもなじみのある海外スターの訃報が伝わりましたら、この記事を更新し、お知らせしたいと思います。
2023年、2022年に亡くなった海外の映画スターについては、以下の記事をご覧ください。