2014年、単館上映で始まったものが話題を呼び、全国規模のロングランヒットとなった映画が『チョコレートドーナツ』です。
2020年には東山紀之主演で舞台化され、再び注目を集めた映画『チョコレートドーナツ』について、あらすじやキャストの紹介にくわえ、少々辛口なレビューをしたいと思います。
映画『チョコレートドーナツ』のネタバレあらすじ
俳優としても活動するトラヴィス・ファインが監督、テレビアニメの脚本や製作を多く担当していたジョージ・アーサー・ブルームともに脚本も手掛けた2012年の映画が『チョコレートドーナツ』(原題: Any Day Now)です。
トライベッカ映画祭や、LGBTQの映画祭であるGLAADメディア賞で、いくつかの賞に輝きました。
■あらすじ
物語の舞台は1979年から80年にかけてのアメリカ、ロスアンゼルス。
ドラァグクイーンのルディは、客として来ていた離婚経験のあるポールと出会い、お互い惹かれ合います。一方、同じアパートに住むダウン症の少年マルコが、母親から虐待同然の扱いを受けていたばかりか、その母がドラッグで逮捕され、施設に引き取られたことを気にかけていました。
施設から逃げ出したマルコを保護したルディは、ポールと共に、3人でひとときの幸せな家族を築くのですが……。
いとこ同士だと偽っていたのがゲイカップルだとばれ、マルコと引き離されてしまいます。そこで、弁護士でもあるポールと協力し、マルコを再び引き取るための裁判を起こします。
以下、ネタバレ。
マルコをゲイバーに連れ歩いていたことなどが問題になり、また一時親権委譲を認めていた母親が寝返ったことで、結局、不適格の審判を受けてしまいます。
やがて、マルコは預けられた保護施設を逃げ出し、放浪しているうちに野垂れ死にしてしまうことに……。
ポールは、マルコが死んだという小さな新聞記事を添えた手紙を、裁判官らに送りつけることで、判決が誤りだったことを訴えるのでした。
主要登場人物とキャスト紹介
1.ルディ・ドナテロ/アラン・カミング
歌手になるのが夢のドラァグクイーン、ルディ・ドナテロをアラン・カミングが演じています。
アラン・カミングは1965年1月27日生まれ、スコットランド出身。映画『X-MEN2』や『スパイキッズ』シリーズ、テレビドラマ『グッドワイフ』などで、強烈なキャラクターを演じる演技派として知られています。
また、舞台での活躍もめざましく、1998年にはブロードウェイミュージカル『キャバレー』でトニー賞主演男優賞を受賞しました。
私生活ではバイセクシャルを公言。イラストレーターの男性と、2007年にロンドンでパートナーシップ申請、2012年にはニューヨークで正式な同性婚をあげています。
2.ポール・フラガー/ギャレット・ディラハント
離婚し、ゲイに目覚めたばかりでまだ男性経験もなかったポールを演じているのはギャレット・ディラハントです。
ギャレット・ディラハントは1964年11月24日生まれ、カリフォルニア出身。『X-ファイル』『ロー&オーダー』『デッドウッド 〜銃とSEXとワイルドタウン』『ER』など数々のテレビドラマ、また映画に出演する実力派です。ヒットドラマ『シングルパパの育児奮闘記』のバート役は非常に高い評価を受け、代表作となりました。
2007年に女優のミシェル・ハードと結婚しています。
3.マルコ/アイザック・レイヴァ
行政に翻弄され、やがて悲劇をむかえるダウン症のマルコを、実際にダウン症の俳優アイザック・レイヴァが演じています。
中学の頃から俳優を志し、カリフォルニアのイングルウッドにある、障害者のための演劇学校で学びました。
本作が俳優デビュー作です。
映画『チョコレートドーナツ』はどこまで実話?
公開当時は、「実話に基づいた(based on)」という宣伝文句が頻繁に使われていましたが、現在は、「実話に着想を得た(inspired by)」といった表現に言い換えられています。
というのも、物語のほとんどが創作だからです。
脚本を執筆したジョージ・アーサー・ブルームがニューヨークのブルックリンに住んでいた若い頃、近所にルディという名のゲイの男性が住んでおり、母が娼婦でドラッグ中毒だった上、自閉症だったらしい12歳の少年の面倒を見ていた、ということのみが事実にすぎません。
つまり、ゲイカップルがダウン症の子を引き取るため裁判を起こしたとか、その子供が無慈悲な判決のせいで亡くなったといった事実は一切ありません。ポールという人物も架空です。
公開時には、モデルとなったルディ(Rudy Marinelloという実名が明記されていた) という男は、知り合った数年後の80年代に亡くなったというジョージ・アーサー・ブルームのインタビュー記事があったのですが、現在はなぜか見当たりません。
感想と私的辛口レビュー
この映画が日本で公開された当時は、ほとんどが大絶賛の嵐で、「号泣した」「今年ベスト1」「絶対見逃してはいけない」などと騒がしいほどだった。
ゲイの某映画ライターなど、「70年代にゲイ・ペアレンツ! こんなことがあったってこと自体がビックリ」(原文タイトルまま)と大真面目に解説していたのだから呆れる。
この映画の実話という額縁を取り去ったとき、人は皆同じように感動するのだろうか?「実話である」という側面を過剰なまでに強調することで、意図的に観客の同情と涙を誘っていたとはいえないだろうか?
そう考えると、私には、この映画が偽善に思えて仕方がない。
特に作り手のモラルを疑うのは、もっともらしい美談に作り上げ、ゲイの二人を正当化するために、弱者であるダウン症の子どもを最後死なせてしまうという点である。
この手の物語で、それが許されるのは事実である場合のみだ。
物語では実に単純に善と悪が色分けされている。
ルディとポールは善で、裁判官や検事、マルコの母親らは悪である。
人間の本質とは、決して明確に白黒つけられるものではない。それができるのは、ドタバタコメディーや娯楽エンターティメント、子ども向けアニメの世界だけだ。結果論として、脚本のジョージ・アーサー・ブルームがテレビアニメ畑の人間であることが、妙に納得できてしまう。
だいたい私には、ルディという男の欠点ばかりが目立つ。
ルディは自身の安アパートの家賃さえ滞納し、大家から催促されるまで払わないようなだらしない男である。自分の面倒を見ることもできない男が、どうして思いつきの感情だけで他人の子ども世話をすることができるだろう。
しかも、なぜルディとマルコがそこまで深く心を通じ合わせるようになったのか、という説明がほとんどないのである。
堕落したマルコの母親にも同情すべき、なんらかの事情があるのかもしれない。マルコだって、もしかして専門的な保護施設で育てられた方が、将来を考えれば幸せかもしれない、という考え方だってある、と思うのが分別ある大人である。
そんな良識や熟考すら皆無のルディは、自分が育てるのがベストだと信じて疑わない。
私はそこに強烈なエゴを感じてしまうのである。
映画は最後、マルコが死んだという小さな新聞記事を、裁判官らに郵便で送りつけ、判決の誤りを一方的に責めたてて終わるが、それはただの自己満足にすぎない。
東山紀之・谷原章介の共演で舞台化した『チョコレートドーナツ』
日本において、『チョコレートドーナツ』の世界初の舞台化が実現しました。
ルディを東山紀之、ポールを谷原章介が演じ、演出を手掛けたのは宮本亜門。2020年12月のPARCO劇場での上演を皮切りに、翌年1月にかけて大阪や愛知など全国数都市を巡回しました。
「実話」うんぬんの話とは別に、一つの物語として感動できる芝居だったのでしょうか?
※ゲイを題材に、実話に基づいた映画では、『ある少年の告白』がおすすめです。
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