古くはジョン・レノンとオノ・ヨーコ、あるいはデヴィ夫人とインドネシアのスカルノ大統領などは有名ですが、他にも、日本人と結婚した海外スターやセレブはたくさんいます。
本記事では、そんな中から芸能界とその他業界に分けて21人を選び、2人の子どもたちやその後まで含め詳しくご紹介したいと思います。
- 日本人と結婚した海外スター/セレブ21組を紹介!
- 【エンタメ芸能界】
- ①サム・ニール&渡辺典子
- ②ジーン・ハックマン&ベッツィー・アラカワ
- ③スティーヴン・セガール&藤谷美也子
- ④ニコラス・ケイジ&柴田璃子
- ⑤ピーター・ストーメア&ムラカミ・トシミ
- ⑥ビリー・ディー・ウィリアムズ&ナカガミ・テルコ
- ⑦フランク・ワイルドホーン&和央ようか
- ⑧ジェームズ・レマー&アツコ・レマー
- ⑨イギー・ポップ&浅野スチ
- ⑩リン・チーリン(林志玲)&AKIRA
- ⑪K& 関根麻里
- ⑫イ・ジフン&三浦彩音
- ⑬オリヴィア・ハッセー&布施明
- ⑭イヴ・シャンピ&岸惠子
- ⑮ダニー・フジカワ&ケイト・ハドソン
- 【芸能界以外】
- ⑯ティロ・フェヒナー&中谷美紀
- ⑰ジャン・アレジ&後藤久美子
- ⑱ミハエル・クルム&伊達公子
- ⑲ジェンソン・バトン&道端ジェシカ
- ⑳ミヒャエル・エンデ&佐藤真理子
- ㉑バルテュス&出田節子
- 国際結婚・カップルは今後は一層増える?!
日本人と結婚した海外スター/セレブ21組を紹介!
エンタメ芸能界とその他業界に分けて、21組を順不同でご紹介します。また国籍は日本ではありませんが、両親とも日系の人も含みます。
※2023年7月現在の情報に基づいています。
【エンタメ芸能界】
①サム・ニール&渡辺典子
『オーメン/最後の闘争』の主人公ダミアン役、『ジュラシック・パーク』シリーズのアラン・グラント博士役などで知られるニュージーランド人俳優のサム・ニール。
1980年にニュージーランド人女優のリサ・ハーロウと結婚、一男をもうけるも1989年に離婚。同年に再婚したのが、1989年公開『デッド・カーム/戦慄の航海』の撮影現場で知り合ったメイクアップ・アーティストの渡辺典子でした。渡辺も再婚であり、最初の結婚でもうけた一女(マイコ・スペンサー)のほか、1991年にニールとの間にも娘(エレーナ)をもうけています。
2人は2017年に別居しました。翌年、ニールはオーストラリア人政治ジャーナリストのローラ・ティングルと交際を始め、現在に至っています。
②ジーン・ハックマン&ベッツィー・アラカワ
1971年の『フレンチ・コネクション』でアカデミー主演男優賞、1992年の『許されざる者』で同助演男優賞受賞など、数々の大作・話題作に出演してきた名優ジーン・ハックマン。
私生活では、1956年に最初の結婚をし、3人の子をもうけましたが1986年に離婚。還暦ごえの1991年に再婚したのが、ハワイの日系アメリカ人ピアニストだったベッツィー・アラカワでした。2人は、アラカワがバイトしていたロサンゼルスのジムで出会い、交際をスタート。当時はまだ、ハックマンの離婚は成立していませんでした。
2人の間に子どもはいません。しかしながら、ハックマンが先妻(2017年に死去)との間にもうけた3人の子どもとも良好な関係を築き、現在はニューメキシコ州サンタフェで静かに暮らしています。
③スティーヴン・セガール&藤谷美也子
若い頃10年近く日本に在住していたスティーヴン・セガールは、これまで4度結婚し、7人の実子がいますが、最初の妻が日本在住時に出会った藤谷美也子でした。
1975年、大阪・十三にある合気道道場の娘だった藤谷と結婚し、剣太郎セガールと藤谷文子をもうけます。ところが、1983年、セガールは妻子を残して一人帰国し、翌年に女優のアドリエーン・ラルッサと結婚してしまいます。重婚状態となった末、1986年に藤谷との離婚が正式に成立しました。
その後もセガールは、女優のケリー・ルブロックと結婚するため、1987年にラルッサと離婚。ルブロックとも、ベビーシッターとの間に子をもうけたことで1996年に離婚。2009年に、モンゴル人女性と4度目の結婚し、現在に至っています。
剣太郎セガールは俳優として活動していましたが、2004年、父のアシスタントだったマレーシア人女性と結婚し、翌年にアメリカ移住。2008年に、アメリカ合気道天心道場を設立し、道場長に就任しています。藤谷文子も女優として活動しつつ、2015年にスペイン人脚本家のハヴィエル・グヨンと結婚しています。
④ニコラス・ケイジ&柴田璃子
1995年の『リービング・ラスベガス』でアカデミー主演男優賞を受賞した実力派であるばかりか、親日派でも知られるニコラス・ケイジも、5度の結婚歴があり、子どもも3人います。
1度目は女優のパトリシア・アークエット(1995年~2001年)、2度目は歌手のリサ・マリー・プレスリー(2002年~2004年)、3度目は韓国系アメリカ人のウェイトレスだったアリス・キム(2004年~2016年)。4度目は、2019年にメイクアップ・アーティストで日本人の父を持つエリカ・コイケと結婚しましたが、わずか2か月で離婚しました。
5人目となる現在の妻は、2021年に結婚した芝田璃子です。2021年の映画『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』を滋賀県で撮影中に友人の紹介で出会いました。歳の差は31歳。2022年9月7日、娘オーガスト・フランチェスカが生まれています。
⑤ピーター・ストーメア&ムラカミ・トシミ
母国スウェーデンのみならず、『ファーゴ』『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、ドラマ『プリズンブレイク』など国際的な俳優として活躍するピーター・ストーメア。
1989年にアメリカ人女優カレン・サイラスと結婚し、一女をもうけますが2006年に離婚。2008年に再婚したのが、日本で出会った広島出身の一般女性ムラカミ・トシミ(漢字不明)です。互いに言葉がわからず、ストーメアは通訳を通して求婚したとインタビューで語っていますが、それ以外、プライベートは公にしていません。
2009年には娘をもうけ、現在は3人でロサンゼルスに在住しています。本人が好きなのか、家族が好きなのか、インスタグラムには頻繁に「ハローキティ」のグッズが登場します。
⑥ビリー・ディー・ウィリアムズ&ナカガミ・テルコ
『マホガニー物語』や『ナイトホークス』『スター・ウォーズ』シリーズなどの映画、テレビドラマの『ダイナスティ』や『ジェネラル・ホスピタル』など、数多くの作品に出演してきたビリー・ディー・ウィリアムズ。
これまで、3度の結婚で3人の子どもがいます。最初の結婚は1959年で1963年に離婚、2度目は女優のマリーン・クラークと1968年に結婚しましたが、こちらも1971年に離婚しました。1972年、3度目の結婚となったのが、ナカガミ・テルコ(漢字不明)です。
ナカガミも、過去に有名ジャズ・ミュージシャンのウェイン・ショーターと結婚・離婚しており、娘(ミヤコ)を連れての再婚でした。2人は1973年に二女(ハナコ)をもうけ、一時は離婚の危機もありましたが、1997年に復縁し現在に至っています。
⑦フランク・ワイルドホーン&和央ようか
ミュージカル『ジキル&ハイド』や『スカーレット・ピンパーネル』、ホイットニー・ヒューストンの名曲『ホエア・ドゥ・ブロークン・ハーツ・ゴー』などで知られる作曲家のフランク・ワイルドホーン。
3度の結婚歴があり、2度目の妻は女優兼歌手のリンダ・エダーで1998年に結婚しましたが、2004年に離婚。1度目と2度目の結婚で息子がそれぞれ2人います。3度目の結婚が、元宝塚歌劇団宙組トップスターの和央ようかで、2015年、ハワイで結婚しました。
和央の退団作品『NEVER SAY GOODBYE―ある愛の軌跡―』の曲をワイルドホーンが担当したことがきっかけで出会いました。現在、2人はニューヨークに在住しています。
⑧ジェームズ・レマー&アツコ・レマー
映画『ジャンゴ 繋がれざる者』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、また『セックス・アンド・ザ・シティ』のサマンサの恋人役でも知られる性格派俳優のジェームズ・レマー。
プライベートを明かさない俳優として知られていましたが、1984年に日本人女性のアツコと結婚していたことが、後年になって判明しました。子どもが2人おり、長男のジェイソンも俳優、長女のリサは歌手として活動しています。
ジェイソンは、人気ドラマ『CSI:科学捜査班』などに出演したのち、23歳のとき拠点を日本に移し、JAYの芸名で『HiGH&LOW THE MOVIE 2 END OF SKY』などに出演しています。
⑨イギー・ポップ&浅野スチ
過激なガレージ・ロックのバンド『ザ・ストゥージズ』のボーカルからソロとしても活躍し、2010年に「ロックの殿堂」入り、2020年にグラミー賞特別功労賞を受賞したレジェンド、イギー・ポップ。
1968年に一度結婚をしましたが、短い期間で離婚。1984年に再婚したのが、日本人の浅野スチでした。2人は1999年に離婚しましたが、その前年、浅野は自伝的小説『In Broken Wigwag』を発表し、小説家デビューしています。
離婚と同じ年、イギー・ポップはフライト・アテンダントだった女性と出会って交際をスタートさせ、2008年、三度目の結婚に至っています。
⑩リン・チーリン(林志玲)&AKIRA
モデルとして母国や日本でも多くのCMに出演しているほか、映画『レッドクリフ』シリーズなどで女優としても活躍する台湾のリン・チーリン。
2019年に、EXILEのAKIRAと電撃結婚。2011年の舞台『レッドクリフ 〜愛〜』で知り合い、友人関係から恋人へと進展していったようです。2人は、2022年1月31日に、第一子となる長男をもうけています。
⑪K& 関根麻里
2005年に、拠点を母国韓国から日本に移し、活動しているシンガーソングライターのK(カン・ユンソン)は、2014年に関根麻里と結婚しました。
2009年、関根が担当していたラジオ番組『BAY LINE GO!GO!』にKがゲスト出演したことがきっかけで出会いました。
2015年11月には、第一子となる長女、2019年10月には、第二子となる次女が誕生しました。2023年7月には、Kが出演するミュージカルを、韓国の両親、関根麻里揃って観劇した様子をインスタグラムに投稿しています。
⑫イ・ジフン&三浦彩音
17歳でデビューし、容姿と実力を兼ね備えたアイドル的歌手として人気を博したばかりか、俳優としても、ミュージカル『キンキーブーツ』や日本のドラマ『熱き夢の日〜日韓ワールドカップ 真実の裏側〜』に出演するなど、日韓両国で活躍するイ・ジフン。
2021年に結婚したのが、14歳年下の日本人女性、三浦彩音でした。交際のきっかけは、通訳として働いていた三浦と仕事の打ち上げで出会い、一目ぼれして連絡先を交換したこと。
2022年6月には、2人揃ってフジテレビの番組『あしたの内村!!』に出演し、馴れ初めや4世帯18人の大家族で暮らしている現在のソウル生活を紹介しました。
⑬オリヴィア・ハッセー&布施明
Happy Mother’s Day Everyone 🎊❤️🙏🌹🙌🥰😘 pic.twitter.com/tWBIXU9Fs6
— Olivia Hussey (@OliviaHusseyLA) May 8, 2022
1968年の映画『ロミオとジュリエット』で、一躍世界的人気女優となったオリヴィア・ハッセーと布施明が結婚していたことは、若い世代の人の中には知らない人も多くいるようです。
オリヴィア・ハッセーは、ディーン・マーティンの息子のディーン・ポール・マーティンと1971年から1978年まで結婚していましたが、2度目の夫となったのが布施明でした。ハッセーが出演したカネボウのCM曲『君は薔薇より美しい』を布施が歌ったことがきっかけとなり、1980年に結婚。布施が渡米し、1983年に一男(マックス)をもうけましたが、1989年に離婚しました。ハッセーはその後、ヘビーメタルバンド「ジェフリア」のデヴィッド・アイズリーと3度目の結婚をしています。2024年12月27日、乳がんにより73歳で死去しました。
一方、布施明は、2013年に歌手の森川由加里と再婚しました。
⑭イヴ・シャンピ&岸惠子
1957年、フランス人映画監督イヴ・シャンピと、映画『君の名は』で松竹の看板女優となっていた25歳の岸惠子の結婚は、当時の日本で大変なニュースとなりました。
きっかけは、シャンピが監督した1956年の日仏合作映画『忘れえぬ慕情』に岸惠子が主演したこと。1963年には娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピをもうけ、1967年以来パリに在住してサルトルやボーヴォワール、ジャン・コクトーらと交流する、華やかな社交生活を送りました。
2人は1975年に離婚。シャンピは、1982年11月5日に61歳で死去しましたが、岸惠子はその後も独身のまま、女優・作家として活躍しています。
⑮ダニー・フジカワ&ケイト・ハドソン
ゴールディ・ホーンの娘であり、自身も、2000年の映画『あの頃ペニー・レインと』でゴールデングローブ賞助演女優賞に輝くなど、女優として目覚ましい活躍をしているケイト・ハドソンの事実婚パートナーが、日系4世のミュージシャン、ダニー・フジカワです。
ハドソンは一度の結婚と複数の交際からすでに息子が2人いましたが、友人の紹介でフジカワと出会い、2016年から交際をスタート。2018年には娘をもうけ、フジカワの祖父であるロンから、ラニと名付けました。2021年9月には、正式に婚約しています。
【芸能界以外】
⑯ティロ・フェヒナー&中谷美紀
名門ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団などでビオラ奏者を務めるドイツ人音楽家ティロ・フェヒナーと中谷美紀は、2018年に電撃結婚。その後は、一年の半分をオーストリアのザルツブルク、半分を日本という暮らしを続けています。
東京のしゃぶしゃぶの店で席が隣り合い、会話を交わしたことがきっかけになり、その後連絡を取り合う仲になったようです。フェヒナーは、前のパートナー(婚姻関係があったかは不明)との間に幼い娘がおり、義娘と中谷との関係も良好のようです。
⑰ジャン・アレジ&後藤久美子
フランス人レーシングドライバーのジャン・アレジが後藤久美子との交際をスタートさせたのは、1995年。当時、アレジには妻子がいましたが、翌年に離婚が成立すると後藤が渡仏して同棲を始めました。
2人は、1996年に長女、1999年に長男、2007年に次男をもうけました。長女は2017年にロンドンで社交界デビューしたエレナ・アレジ・後藤、長男は父の後を継いでレーシングドライバーとなったジュリアーノ・アレジです。
現在、夫婦はスイス・ジュネーヴに在住していますが、正式な婚姻をしていない事実婚です。
⑱ミハエル・クルム&伊達公子
Always a pleasure to take the GT-R for a spin at Fuji Speedway..my favorite color as well! @NISMO_JP pic.twitter.com/Ho7gbNQXto
— Michael Krumm (@MichaelKrumm) May 3, 2017
2001年、ドイツ人レーシングドライバーのミハエル・クルムと結婚したのが、一時は世界ランキング第4位までのぼりつめた日本人テニスプレーヤーの草分けで1996年に引退していた伊達公子です。
2008年には、クルム伊達公子として現役復帰していますが、婚姻は、2016年に離婚に終わっています。子どもはいません。
伊達公子の方は、2022年1月、5年の交際を経て一般男性と再婚していたことが後に公表されました。
⑲ジェンソン・バトン&道端ジェシカ
芸能界でめざましい活躍をする道端3姉妹の次女である道端ジェシカも、2008年2月、友人の紹介でイギリス人レーシングドライバーのジェンソン・バトンと出会い、やがて交際をスタート。2009年10月には『GQ JAPAN』の表紙にカップルとして登場し、話題をよびました。
2014年、2人は結婚したものの、わずか1年後の2015年に離婚しています。
バトンは2022年にモデルの女性と再婚し、妻の連子である一男一女と共にロサンゼルスに在住しています。
一方、道端ジェシカは、2017年10月21日にロサンゼルスで女の子(ジョイ)を出産。公式な発表はありませんが、父親は台湾系アメリカ人の映画プロデューサー、ケンカオであると言われています。2023年3月20日には、合成麻薬MDMA所持で逮捕。道端は不起訴となりましたが、一緒にいた夫?(ケンカオ?)は有罪判決を受けました。インスタグラムの投稿も全て削除し、事実上の活動休止状態にあります。
⑳ミヒャエル・エンデ&佐藤真理子
『モモ』など世界中に多くの読者を持つドイツ人児童文学作家ミヒャエル・エンデの2人目の妻が佐藤真理子です。
エンデは、1964年に女優のインゲボルク・ホフマンと最初の結婚をしましたが1985年に死別。その後、自身の著作『はてしない物語』の翻訳者だった佐藤真理子と出会い、1989年に結婚しました。
佐藤は、エンデが1995年8月28日、65歳で死去するまで支え続けました。
㉑バルテュス&出田節子
ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられたフランス人画家のバルテュス。多くの作品がニューヨークのメトロポリタン美術館やパリのポンピドゥーセンターなど世界の名だたる美術館に収蔵されている大画家ですが、二番目の妻は日本人女性の出田節子(いでたせつこ)です。
1962年、バルテュスは訪問中だった東京で、上智大学外国語学部フランス語学科の学生だった出田と出会います。当時のバルテュスは既婚者でしたが、その後離婚し、1967年に出田と結婚しました。
1968年に長男フミオをもうけますが、わずか2歳で夭折。1973年に長女の春美をもうけています。節子はバルテュスが2001年に他界するまで支え続け、死後はバルテュス財団を創設し、名誉会長に就任しています。
娘の晴美(ハルミ・クロソフスカ=ド=ローラ)はジュエリー・デザイナーとして活動しています。
国際結婚・カップルは今後は一層増える?!
以上、21組をご紹介しました。現在も夫婦、すでに離婚などさまざまですが、何度も結婚と離婚を繰り返している外国人夫が少なくないことにも驚かされます。
また、その他業界では、なぜかレーシングドライバーが異様に多いのも注目です。
今度は、さらに国際結婚やカップルが増えていくものと推測されます。
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